おばあちゃん、運動会、いのち。
先月末、旦那方のおばあちゃんが亡くなりました。94才だったから、大往生と言えるのでしょうが、やっぱり寂しいものです。
前から体はじわじわと弱っていたのですが、頭はかなりハッキリしていて、亡くなる前の週に親戚が集まりお見舞いに行った時も、「嬉しいような、悲しいような…」とコメントして皆を笑わせてくれていました。
(ばあちゃん的に、「皆に会えたのは嬉しい、けど、もう自分が危ないんだね、ちょい悲しいわ。」って感じの意味ですね。)
すごく面白い人で、旦那も私も大好きなばあちゃんでした。
ここ数年はみんなにちょっとボケてると言われつつ、よく聞くと深い意味がある発言だったり、遠慮なく何でも頼むかわりに、遠慮して人を恨むこともなく(←去年の日記にも書いてます)。
おばあちゃんが亡くなったのは、ちょうど下の子の幼稚園の運動会の前日のことで、何はさておき顔を見に行こうと、運動会の前日準備が終わり次第、家族4人で大阪へ走りました。
その足でとんぼがえりして、翌日は運動会!
今年は私がPTAの役員で、競技に使う用具の移動など、何度も打ち合わせして、誰がどう動くか担当を決めてあったので、ぽんと誰かにお願いできるような状況ではなかったのです。
お弁当は前もって私の母と分担して作ろうね、と決めていたのですが、前の晩とんぼ返りで深夜帰宅→役員は朝早めの集合、ではきっと何も作れない…と思い、急遽母に電話して「ごめん、全部作って」と無茶ブリ。
にもかかわらず、笑顔で食べ切れないほどのお弁当を持って応援に来てくれた両親よ…ありがとう。
ガンになって以来、人間、いつ死ぬか分からない、早く死ぬのもそれはそれで仕方ない、と常々思ってきましたが、私が、それでもやっぱり長生きしたい!と願う一番の理由はこのへんですね。
この両親を悲しませたくない、そして、いつか娘たちが子供を持った時も、こうやって困った時に助けてあげたいから、やっぱりまだまだ生きていないとなぁ。
おかげさまで、ずっと個人演技の登り棒や、ダンス、リレーの練習をがんばってきた下の子は、しっかり全力を出して、最高の笑顔で運動会を終えることができました。
終わり次第、皆さんに後片付けをお願いして、大急ぎでお風呂に入り、喪服に着替えて再び大阪へ。
もう一日早くおばあちゃんが亡くなっていたら、さすがに告別式に出ないわけにはいかなかっただろうから、「おばあちゃん、頑張ってくれたんだね」と、娘と話して、お通夜のお棺の前で、おばあちゃんにお礼を言いました。
ありがとうね。
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